優しい悪魔
皆さんは不思議に思われたことはないだろうか?
かつてこの地球上には疑いなく神々がいた。今もなお残された数えきれないほどの記録がそれを証明しているのだ。それではいったい彼らは何故我々の前から姿を消したのか?
神々の実在の記録は、およそ2千5百年前を境に、記録から修飾された伝承へと変わっていく。時の経過とともにリアリズムを失い、次第に創作されたファンタジーへとその姿を変化させているのである。
そしてもう一つ特筆すべきことは、一つのオリジナルの物語からいくつもの派生した物語が作られ、それらはその時々の権力者たちの都合のいいように書き換えられているということである。従って、真実を探求するにはできる限り古い、限りなくオリジナルに近い記録を参考にしなければならない。そういう意味においては、旧約聖書は比較的期待できる歴史的文献ではあるが、それでも決して十分とは言えない
古代神話
そしてもう一つ、小生の思想に大きな影響を与えたもう一つの書物について紹介させていただかねばならない。それは、遺伝子学の権威である村上和雄先生の著作「生命の暗号」である。この作品を読んだのはもう十年も前になるが、あの時の感動は今でも忘れることができない。そしてそれ以来、小生は完全なる生物創造論者になり、進化論などまるで信じられなくなってしまったのである
遺伝子
太古の記録で最も驚くことが、あまりにも俗っぽい神々の姿である。利己的で感情的で、そしてきわめて淫猥なのである。後世になるに従い神々の姿は修飾され、慈悲深く思慮深い完璧なる姿に書き換えられていく。しかし、そうではない神々の姿が、確かに記録として残されているのも事実なのである。
俗っぽい神々
そして・・・
優しい悪魔
本作品は、そうした「俗っぽい」神々を題材に、しかも彼らがいまだにこの世に存在することを前提とした物語である。ここで言う悪魔とは、人間にとっての悪魔では決してない。神々にとっての悪魔なのだ。神でありながらも人間を愛し、そして神々に抗いその世界を追放された、愛すべき反逆者たち――
CAST
マルドゥクは、古代神話においても最も有名な神の一人である。 時代を経ながら劇的にその姿を変えていった神でもあるが、最も彼が名を轟かせたのが、 古代バビロニア時代である。バビロニア神話の創世記叙事詩である『 エヌマ・エリシュ』は、このマルドゥクを主人公にした物語であり、神々に奉仕する人間の姿が描かれている。また旧約聖書の中でも、「エレミヤ書」50章二に於いて、メロダクという名で登場する神でもある。シュメール時代は農耕をつかさどる温厚な神として称えられていた彼も、バビロニア時代にはすっかりその姿を変え、神々と戦を交える好戦的な神として語られた。
そしてその戦の相手の一人が ニヌルタ神であり、本著でもその名のままで登場する
本条セイヤ
=マルドゥク
古代神話の中では数えきれないほどの神々が語られているが、これほどまでに辛辣に描かれた神は他にいないであろう。大地の下に閉ざされた冥界を支配する死の番人、妹であるイシュタルを妬み、惚れた ネルガル を執拗に追いかける嫉妬深い神、しかもその上に底抜けの性欲・・・
目にするすべての者に死をもたらしたとまで言われたこの神は、他の神々にとっては悪魔のような存在であったに違いない。しかし、ここで少し視点を変えてみたい。神話とは、その多くが神々の目線――すなわち、神々の都合の良いように書かれているものなのだから。もし仮にその神々が、傲慢で利己的で暴力的な存在であったとしたならば・・・
そんな神々に抗う神は、はたして本当に悪魔なのだろうか?
いや、きっと違う。本著に登場するヒロイン、マーシャ= エレシュキガルは、かつて暴虐の限りを尽くした神々に抗い、彼らと戦い、そして彼らを殺めた恐ろしい悪魔である。しかし実際の彼女は、神話で語られた醜悪な姿とは似ても似つかない、情愛に溢れ、正義感に満ちた、とても優しい悪魔なのだ
マーシャ
= エレシュキガル
本著の主人公である早川良太は、人間である。正確には、人間であった。
人一倍繊細で感受性の強い彼は、世のオタクと呼ばれる人種の多くがそうであるように、保守的で卑屈な性格の持ち主であった。そんな彼の平凡な人生が、一人の神、いや、悪魔・本条セイヤ(マルドゥク)との偶然の出会いで一変する。そして彼を変える要因となるもう一人の神が、美しき悪魔・マーシャ(エレシュキガル)である。
本著は、この早川良太が悪魔たちに感化され、古代史の真実を知り、そして自らも悪魔となって共に戦う道を選ぶ、神話ファンタジーである。
登場する神々の多くは神話の中で実在する神々であり、ぜひとも読後にネットを検索して、その神々の記録を堪能していただきたい。